-松屋銀座開店100年- 銀座三丁目 百年物語 第7話

おかげさまで2025年、松屋銀座は開店100周年! 本連載では、銀座三丁目で繰り広げられた、松屋ならではのあれこれを振り返りつつ、「松屋らしさ」を紐解いてまいります。
松鶴(しょうかく)マーク

正面から見た鶴の翼に松葉を重ねたこのデザインが、松屋の社章である松鶴(しょうかく)マーク。松も鶴もおめでたく、「永遠に繁栄するという吉兆」を象徴するものです。1978(昭和53)年のCI*変更以降、見かける場所は減っていますが、今も屋上の社旗や社員の襟章、京橋口の“表札”代わりなど限定的に使用されています。

銀座店京橋口

そもそも松屋は1869(明治2)年に「鶴屋呉服店」として横浜に創業し、その後1889(明治22)年に神田今川橋の「松屋呉服店」を買収して、鶴屋と松屋の二つの屋号を継承しました。その後1907(明治40)年頃から二つの店に共通した松鶴マークを使い始めます。もとは鶴屋と松屋で別々の商標を使用していましたが、今川橋店の増築と呉服店から百貨店への脱皮を背景に、両店で統一したマークを制定しようという機運が高まったのです。そこで東京高等工業学校(現・東京科学大学)の井出馬太郎教授に依頼して、同校の生徒から懸賞で図案を募集したところ、松鶴マークのもととなる構想がありました。そこに井出教授の手が加わって、ほぼ現在の形になります。1907(明治40)年3月に上野で開催された「東京勧業博覧会」に松屋が参加した際、このマークが初めて発表されました。その後、各部の寸法や線の太さなどを最も美しく均整の取れたものに修正して、最終的に今も見られる松鶴マークが完成したのです。

銀座店裏手の銘板

かつて百貨店のマークといえば、○の中に図形や漢字一文字を入れたものがほとんどでした。三越、高島屋、伊勢丹、大丸、そごうなどがそうですし、松鶴マークもその一つです。これは、呉服店がそれぞれの店の印を反物の芯の両端の丸の中に入れていたことによるものだと言われています。

松屋の松鶴マークは、1978(昭和53)年に現在のMATSUYA GINZAロゴタイプが導入されるまで約70年にわたり、広告や包装紙など広範囲に使われてきました。現在では、松屋の歴史を象徴するシンボルと言うことができるでしょう。

昭和初期の銀座店包装紙

さて、とっておきのエピソードを一つ。1978年の松屋銀座CI*変更を手掛けたデザイナーは故・仲條正義氏ですが、2000年代に松屋銀座で行われたとあるデザイン展のパーティーで氏にお会いしたときに、一つの仮説について筆者が尋ねてみました。 「CI*変更後のあのMのマークは、松鶴マークを変形させていったものなのですか?」 すると仲條氏はこともなげに「そうですよ」との返答。なるほど、松鶴マークに見られる松葉の交差(鶴の翼でもある)を、下部を開いて変形させていくと、松屋のプロモーションマークである「M」(またはMGマークの「M」部分)になるのです。松鶴マークのDNAは、ひそかに受け継がれていたのでした。

*CI=Corporate Identity(コーポレート・アイデンティティ)の略。企業の理念や価値観を統一し、明確化(デザイン化)することによって、ブランド価値を高めようとする戦略。

松鶴からMへの変形

書き手:田代 健

松屋グループの東京ファッション専門学校校長。松屋を中心に、当グループ一筋40余年のキャリアを持ち、これまでに「松屋150年史」の副編集長などを務める。

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