-松屋銀座開店100年- 銀座三丁目 百年物語 第6話
銀座店屋上の『龍光不動尊』はその名の通り「不動明王(お不動様)」をお祀(まつ)りしています。毎年秋に行われる「銀座八丁神社めぐり」というイベントにも組み込まれているため、よく間違われるのですが、神社ではありません。「不動明王」は大宇宙の中で最高位の仏様といわれる「大日如来」の化身と言われ、仏教の信仰対象です。なので、お寺に祀(まつ)られています。『龍光不動尊』も高野山龍光院がそのルーツであり、1925(大正14)年に松屋の銀座店が開店したのち、1929(昭和4)年にお店の守り神として屋上に安置されました。不動尊を奉安する宝殿は、当時の宮内省内匠寮勤務の青池安太郎によるもの。青池は平安神宮や神田明神なども設計した寺社建築の権威です。
1919(大正8)年に市街地建築物法によって、建物の高さは百尺(31メートル)までと制限されました。この規制は戦後も続き、銀座にも31メートルの建物が建ち並びました。たとえば三越(旧館)や和光、松屋などの建物がこの高さです。そのため、銀座通りのスカイラインは31メートルでまっすぐ揃っていました。その後、法律の改正でもっと高い建物を建てられるようになります。しかし、銀座の人々が中央区と話し合い、1998(平成10)年に銀座の建物に関するルールを新たに定めました。これが、銀座独自の景観や回遊性、街の品位を守るための「銀座ルール」。これにより、建物の高さは56メートルまで+屋上工作物10メートルとなり、現在の銀座通りのスカイラインは31メートルと66メートル高が混在しています。

龍光不動尊の品格ある佇まい
銀座店屋上の『龍光不動尊』はその名の通り「不動明王(お不動様)」をお祀(まつ)りしています。毎年秋に行われる「銀座八丁神社めぐり」というイベントにも組み込まれているため、よく間違われるのですが、神社ではありません。「不動明王」は大宇宙の中で最高位の仏様といわれる「大日如来」の化身と言われ、仏教の信仰対象です。なので、お寺に祀(まつ)られています。『龍光不動尊』も高野山龍光院がそのルーツであり、1925(大正14)年に松屋の銀座店が開店したのち、1929(昭和4)年にお店の守り神として屋上に安置されました。不動尊を奉安する宝殿は、当時の宮内省内匠寮勤務の青池安太郎によるもの。青池は平安神宮や神田明神なども設計した寺社建築の権威です。
「不動」というのは、「人々を救おうとする決心が揺るがない」という意味です。だから悪を罰するために、怒りの形相をしているのです。一般的に「お不動様」には厄払い、出世、商売繁盛、勝負事へのご利益があると言われています。『龍光不動尊』の場合、それらに加えて「龍光」が「流行」に通じるということで、ファッション業界にご利益のある神社とも言われています。
入口両脇の狛犬は1969(昭和44)年の松屋創業100周年にあたって寄贈されたもので、向かって左が在職幹部有志、右が松蔭会(旧社員の集い)有志からと記されています。

手水鉢の水は「龍」の口から
境内の案内板には「ここに奉安されております龍光不動明王ご尊像は鎌倉時代の名匠の作で、高野山龍光院に於いて、霊験現れましてから七百幾星霜を経ており、昭和4年5月松屋に念持仏としてお迎えし、屋上の宝殿に安置申し上げ、龍光不動尊としてあがめ奉り松屋の鎮護とされております。

不動堂の扉と額
毎年正月、5月ならびに9月の28日には例祭をとりおこなっております。参拝される方には、禍を転じて福となし、願望もかなえられ、家内安全、商売繁盛と言われております。」と記されています。記録によると、昭和4年4月30日に入仏式を行い、松屋の守護神として屋上に安置されたということです。2011(平成23)年の東日本大震災時には、境内の灯篭が倒れましたが、すぐに復旧されました。また2020(令和2)年には経年変化で退色が進んだ御本尊像と二童子像を修復し、改めて入仏の儀式を行い、美しい色彩が甦りました。

修復を終えた御本尊像と二童子像 (2020年)
ちなみに銀座三越の屋上には『銀座出世地蔵尊』と『三囲(みめぐり)神社』(三井家の守護神)が、GINZA SIX(元・銀座松坂屋)の屋上には『靏護(かくご)稲荷神社』(火除けの神様)が鎮座しています。やはりお客様をおもてなしする商売と神仏とはご縁が深いようですね。
書き手:田代 健
松屋グループの東京ファッション専門学校校長。松屋を中心に、当グループ一筋40余年のキャリアを持ち、これまでに「松屋150年史」の副編集長などを務める。