-松屋銀座開店100年- 銀座三丁目 百年物語 第5話
ニューヨークの五番街、パリのシャンゼリゼと並ぶ世界有数のショッピング・ストリートが、銀座を南北に貫く「中央通り」。その銀座区間の通称が「銀座通り」です。銀座1丁目から8丁目の距離は約1,100メートルあります。
1919(大正8)年に市街地建築物法によって、建物の高さは百尺(31メートル)までと制限されました。この規制は戦後も続き、銀座にも31メートルの建物が建ち並びました。たとえば三越(旧館)や和光、松屋などの建物がこの高さです。そのため、銀座通りのスカイラインは31メートルでまっすぐ揃っていました。その後、法律の改正でもっと高い建物を建てられるようになります。しかし、銀座の人々が中央区と話し合い、1998(平成10)年に銀座の建物に関するルールを新たに定めました。これが、銀座独自の景観や回遊性、街の品位を守るための「銀座ルール」。これにより、建物の高さは56メートルまで+屋上工作物10メートルとなり、現在の銀座通りのスカイラインは31メートルと66メートル高が混在しています。
銀座通りの都電廃止前日(1967年)
「明治百年大銀座祭」松屋の花自動車(1968年)
その昔、銀座通りを走っていた都電「本通(ほんどおり)線」は、1903(明治36)年に開業し60年以上にもわたり人々に親しまれましたが、交通渋滞などのため1967(昭和42)年12月10日に廃止されています。また、「大銀座まつり」内のイベントとして、1968(昭和43)年~1999(平成11)年に開催された「音と光のパレード」には松屋銀座の花自動車も毎年登場し、銀座通りに集まった人々の耳目を楽しませました。松屋の古屋勝彦名誉相談役は、2007~2016(平成19~28)年まで銀座通連合会の第10代会長を務め、銀座通りの発展に尽力しました。
一方「松屋通り」は、銀座3丁目と4丁目の間を、西は外濠通りに突き当たる銀座教会の前から、東は築地川跡の祝橋に至る約630メートルの通りです。銀座界隈で企業名のついた通りは現在「ソニー通り」と「松屋通り」ぐらい。それだけ松屋が地元に愛されるランドマークであり続けた証ではないでしょうか。 松屋通りの誕生は1957(昭和32)年。地下鉄丸の内線銀座駅の誕生と同じタイミングです。開業4年目の丸の内線が銀座(当時の名称は「西銀座」駅)まで開通したのがこの年の暮れ。地元の人々が銀座教会の会議室に集まり、その総会で「松屋通り」の名称が満場一致で承認され、両側の歩道に計32本の街路灯を設置することも決定しました(費用総額250万円のうち、松屋が200万円、地元が50万円を負担)。
松屋通りの標識
1962(昭和37)年公開の日活映画『銀座の恋の物語』には、松屋通りの街路灯が堂々登場します。当時は日本語表記でしたが、その後、2000(平成12)年に一新され、「M」字型(もちろん松屋のM)の装飾物がつきました。表から見ても裏から見ても味わいのある「M」になっていましたが、老朽化による危険防止のため2023年11月に撤去されました。このほかに漢字で「松屋通り」と記された標識も6本立っています。 ちなみに松屋銀座の裏手にある「スターバックスコーヒー銀座松屋通り店」は1996(平成8)年8月2日にオープンした日本1号店。いや、実はスタバにとってアメリカ以外では初の記念すべき店舗なのです。近年では〈ニールズヤード レメディーズ〉、〈キールズ〉、〈サボン〉などのコスメショップが松屋主導のもとに相次いでオープンするなど、松屋通りは変わり続けているのです。
松屋通りのM字型街路灯(2000~2023年)
書き手:田代 健
松屋グループの東京ファッション専門学校校長。松屋を中心に、当グループ一筋40余年のキャリアを持ち、これまでに「松屋150年史」の副編集長などを務める。