-松屋銀座開店100年- 銀座三丁目 百年物語 第4話

おかげさまで2025年、松屋銀座は開店100周年を迎えます。 本連載では、銀座三丁目で繰り広げられた、松屋ならではのあれこれを振り返りつつ、「松屋らしさ」を紐解いてまいります。
PXの時代

「PX」とは、第二次世界大戦後に進駐軍によって設けられた、アメリカ兵とその家族のために飲食物や日用品を売る売店のこと(“Post Exchange”の略)。

終戦間もない1945(昭和20)年8月30日に、松屋の吉田橋横浜支店は、米軍によって接収されます。建物は上陸部隊の宿舎となり、その後陸軍病院として使用されました。続いて9月には伊勢佐木町横浜店の1-3階が接収され、翌年3月には全館が接収されました。

銀座店は、1945年の11月10日に地階、1・2階の一部が米軍将校用PXとして接収され、翌年4月には全館が接収されてしまいます。

PX時代の銀座店

三代・古屋德兵衛社長をはじめとする幹部は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の命令撤回のため、あらゆる手を尽くしましたが、その甲斐もなく命令は断行されました。

当時松屋が持っていた4店舗のうち、戦災を受けた浅草店を除く3店舗を接収されてしまったのです。銀座では松屋以外にも、服部時計店(現・和光)がPXとなりましたが、松屋よりも9カ月ほど短い接収期間でした。

「松屋はメインPXで規模が大きいので、代替建物が用意できない」との理由で、返還が遅れたのです。

PXには店員以外の日本人は立ち入りを許されず、内部は大きく改装されました。当時の写真を見ると、全体的にゆったり広々とした配置になり、例えば5階には優雅なラウンジ(休憩室)が設けられ、クリスマスシーズンにはツリーが飾られたりしています。

PX内の生地売場

5階ラウンジ(休憩室)

また、将校の衣服の専用売場や、日本土産のコーナー、購入した物をアメリカに送るための郵送コーナー、外貨両替所もありました。さらには椅子がずらりと並ぶ理容室や美容室もあり、それらに漂う高級感と戦後日本の苦しい生活とのギャップを思うと、驚かずにはいられません。

椅子が並ぶ壮観な理容室

7年にも及んだ接収は、松屋にとって大きな痛手となりました。銀座店は人員を絞り込んで、まず4丁目の小さな売店で営業を再開したのち、3丁目のPX隣接地に木造2階建ての小規模な営業所を作って(その後、増床)、百貨店としての営業をなんとか続けました。

その間、1948(昭和23)年4月には、旧来の社名「松屋呉服店」を「松屋」に改めています。銀座店の接収は7年近く続き、1952(昭和27)年の8月にPXが閉鎖され、9月10日に接収解除となりました。松屋にあったPXは、神奈川県の米軍・座間キャンプ内に移されました。その後店舗改装や社員補充、商品準備などを行い、銀座店が営業再開を果たしたのは1953(昭和28)年5月20日のことです。

南口に出された営業再開の告知

戦後の経済復興期に、長期にわたり不完全な形での商売しか許されなかった松屋。しかし、そのため多店舗化を行えなかったことや営業再開した銀座店に力を注いだことが、今に至るユニークな百貨店を形作ることに繋がったのかも知れませんね。

書き手:田代 健

松屋グループの東京ファッション専門学校校長。松屋を中心に、当グループ一筋40余年のキャリアを持ち、これまでに「松屋150年史」の副編集長などを務める。

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