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連載・ホンモノ

Vol.40 成城凮月堂と新しいブランド「あんや」「成城散歩」

2014年7月30日更新

東京を代表する高級住宅街、成城。数多くの菓子店があるこの街で、戦前から地元の人々にこよなく愛されてきたのが「成城凮月堂」だ。材料や製法にこだわりぬいた和洋の手作り菓子は、全てが代表作と言える銘品揃い。途絶えることのない客足がそれを証明している。看板の背後にある伝統と革新──三代目当主は受け継いだ魂を守りつつ、既存ブランドの刷新と新ブランドの育成に力を注ぐ。

地元の人々に愛されるお菓子をつくる

成城学園前駅近くの瀟洒なビル。全面ガラス張りの入口を入ると、近所の方々と思しき老若男女が入れ替わり立ち替わり、お遣い物に、あるいは自宅用にとお菓子を選び、帰っていく。左手のショーケースに飾られているのは、大福や最中などの和菓子類。右手のショーケースで来客を誘うのは、ショートケーキやモンブランなど洋菓子の数々。奇をてらうことのない昔ながらのスタンダードなお菓子は、誰からも親しまれ、愛されているのがよくわかる光景だ。

ここは小田急沿線に5店舗を展開する「成城凮月堂」の本店。同店は大正7年(1918年)に東京・大井にて創業した老舗菓子店で、成城には昭和5年(1930年)に移転してきた。
「当時の成城は開発が始まったばかりの頃。人が集まりだしたので、祖父は心機一転、この地で新しいお菓子屋を始めることにしたのです」と、三代目当主(代表取締役社長)の堀 芳郎氏が教えてくれた。

初代が始めたのは和菓子店だったが、移転後は和菓子だけでなく洋菓子の製造販売もスタート。和洋のお菓子を同時に扱うお店は、当時としてもかなり珍しかったようだ。しかも和菓子職人だった初代は洋菓子を作るために、わざわざフランスから職人を招いて技術を学ばせ、洋菓子専門の職人を一から育てたという。
「祖父は自分が食べたいものを作って売るという、根っからの菓子職人でした。進取の気風に富んでいて、世田谷で初めて自動扉を設置したのも祖父だと聞いています。戦前ですから、ケーキへの憧れもあったのでしょう」

初代は徹底して手作りにこだわった。戦後は大量生産を前提に機械化を図る菓子店も多かったが、「成城凮月堂」は小さなお菓子を手間暇かけて作る。和洋となれば種類も増えるので、作る量はどうしても限られてしまう。それでも、材料を吟味し、時間をかけて一つ一つ丁寧に作ることをやめなかった。また、砧饅頭や砧だんごなど、地名の付いた和菓子を作ったのも初代。堀氏は言う。
「祖父は移り住んだ成城の地を、そして成城の人々を心から愛していたのだと思います。地域活動にも熱心でした。当社のお菓子は種類が多く代表作がないという見方もされますが、代表作があることより地元の人々に幅広く召し上がっていただくことの方が重要。祖父が明確にしたこの方針は、今も当社のお店全てに息づいています」

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