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Vol.22 サンモトヤマ ~茂登山長市郎氏、茂登山貴一郎氏

2013年8月7日更新

座並木通りに店を出して半世紀。「サンモトヤマ」は、日本におけるインポートセレクトショップの草分け的存在だ。グッチ、エルメス、ロエベなど、世界に名だたるヨーロッパブランドを日本に初めて紹介し、定着させてきた。会長の茂登山長市郎氏は、同店を一から築き上げた伝説の商人。その志は、息子である社長の貴一郎氏に受け継がれている。銀座の歴史を肌で知るお二人に、商売の哲学、街への想いなどを伺った。

美しいブランド商品への想いから、「サンモトヤマ」を創業

──「サンモトヤマ」が海外のブランド商品を扱うようになった経緯からお聞かせください。

本格的に舶来品が日本に入り始めたのは明治時代の初期です。当時は「唐物(とうぶつ)」と呼ばれていました。私が生まれたのは1921年(大正10年)。祖父は日本橋で高級ニット雑貨(当時は舶来品を含む)を扱う卸問屋をやっていました。戦前は銀座にも数店、唐物を扱う洋品店がありましたが、どれも珍しい存在でした。何事もなければ私がその三代目になるはずでしたが、1941年、突然大東亜戦争が起こり従軍することになりました。行き先は中国の天津。外国人の居留地(外国租界)です。ちょうどクリスマスシーズンで、総天然色映画『風と共に去りぬ』が封切り上映されていました。ここで、私の人生を変えることになる“ショーウインドウ”に出会ったのです。初めて見る欧米ブランドのファッション、家具、文房具。それは私にとって、とてつもない衝撃でしたね。そして、その時決心したんです。「生きて帰れたら必ず、こういう美しい外国の商品を扱う商人(あきんど)になろう」と。

1955年(S30)
有楽町駅前のサンモトヤマ

──復員後に「サンモトヤマ」を創業されました。すぐに有名ブランドの輸入販売を始めたのですか?

最初のうちは有楽町駅前にあった父の店にオフィスを借りて当時の裕福な日本人を相手に、アメリカ製のブランド品を売る商売を始めました。「サンモトヤマ」を創業したのは1955年。社名は祖父の創業した太陽のSUNと自分の苗字・茂登山を合わせたものです。商売は順調でしたが、写真家の名取洋之助さんと出会い、「長さん、これからはアメリカじゃないぞ。伝統と文化のあるヨーロッパに目を向けろ」と忠告されました。そこで、1959年に初めてヨーロッパへ行きました。まだ自由に渡航できない時代でしたから、大変でしたけどね。この旅で私はまず美術館や教会、高級レストランなどに足繁く通い、ヨーロッパの歴史や伝統、文化と彼らのライフスタイルを肌で感じ取りました。これもまた、名取さんからの忠告でした。その翌年もヨーロッパへ行き、エルメスやグッチ、ロエベの本店へ行きウィンドウショッピングを重ねました。当時のブランドはまだオーナーの方たちが店頭に出ていた時代でした。ブランドショップというより、オーナーの好みで集めたセレクトショップだったんです。

──それは意外です。そこから、エルメスやグッチと直に取引することになったのですか?

ええ。でも簡単じゃなかったですね。何しろ日本人が買い付けにいくこと自体が当時はまだ珍しかった。当時エルメスと交渉していたのは西武の堤邦子さんくらい。グッチは私が初めてでした。フェラガモとバリーは早いうちに取引できたのですが、エルメスとグッチはいくら「売らせてほしい」と頼んでも、「うちには世界中からお客様がいらっしゃる。だから今は輸出する必要はありません」と断られ続けました。それでも諦めずに交渉していたら、フィレンツェのバスコ・グッチ社長に認められ、1962年にグッチの日本における独占販売権を取ることが出来たのです。1964年にはエルメスのフランチャイズの販売権も手に入れました。今でこそ大手ブランドの契約はほとんどが終わっていますが、当時は相手の社長と直談判して、取引を実現していけた時代だったのです。

1964年(S39)3月9日
今見ても驚く程の豪華な銀座並木通りオープン時の店内

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