野や山に咲く、あるがままの花の姿に美しさを感じる
──庄司さんは子供の頃から、栽培された花ではなく野の花がお好きだったのですか?
野の花や山の花に親しみを感じていたのは中高生の頃からですね。私は東京の港区育ちなのですが、子供の頃から夏休みを母の田舎で過ごしていました。当時の東京は既に自然があまり残っていなくて、私は野山へ行くたびに、野の花を見て喜んでいました。この頃から私の好きな花は、野の花ばかり。花屋に行って切り花を買っても、ちっとも美しいと思えないのです。これは自分で花屋をやって分かったことですが、例えば菊は、自然の状態では決してまっすぐ育ちません。搬送の都合上、茎が曲がっていると商品がぶつかって傷むので、業者がまっすぐ育てているんです。むしろあるがまま育っている花の姿に、完成された美しさを感じるのです。
──「野の花 司」を開店される以前は、自らの出版社で編集のお仕事をされていたそうですね。
新聞社の出版局でお手伝いをし、結婚を機に主人と二人で神無(かんな)書房という出版社を始めました。最初に出した本は、洋画家・熊谷守一先生のクロッキー集『鳥獣虫魚』。随筆家の白洲正子先生に文章を書いていただいたのですが、先生は庭の花や野の花をご自分の家のあちらこちらに生けていらして、その新鮮な生け方と自然の美しさに大きな感銘を受けました。白洲先生には、神無書房から『花』『雪月花』『対話』といった本を出させていただきました。また骨董愛好家の秦秀雄先生には、『野花を生ける』という本を出させていただきました。先生がご自分で蒐集された器に四季の野花を生け、その写真に文章を添えた本です。どれも「野の花 司」を開店する前に出版した本ですが、先生方には花との接し方という点で、たくさんのことを教えていただきました。
──「野の花 司」を開店されたのは1995年。編集者から花屋の経営者へ転身された理由は何でしょう?
出版の仕事は今も続けていますけど、ちょっと疲れてしまって(笑)。花屋は野の花が美しいと思っていましたので、野の花の花屋をやってみたくなりました。「野の花 司」は最初神谷町で始めたのですが上手く行かなくて、2年後に今のビルに移りました。最初は1階の店舗だけでしたが、今は2階も茶房 野の花 及びギャラリー「スペース司」として使っています。茶房では、自然の食材を活かしたランチや自家製のデザートをご提供していますので、お買い物のついでにぜひお立ち寄りください。またギャラリーでは、陶器や花器の展示会など、季節に合わせたさまざまなイベントを開催しています。