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Vol.1 松崎煎餅 ~松崎宗仁 社長

2011年5月11日更新

1804(文化元)年、芝、魚籃坂(ぎょらんざか)にて創業した松崎煎餅が銀座に店を移したのは、今からおよそ150年も前のこと。
以来、江戸の菓子文化を代表する存在として、多くの煎餅好き、和菓子好きの人々に愛されてきた。
同店の看板を守るのは、七代目を継承する松崎宗仁社長。
静かな語り口から、銀座への深い愛情と煎餅づくりにかける熱い情熱が伝わってくる。


七代目・松崎宗仁社長。
銀座1~4丁目並木通り会会長の顔も持つ。

子供の頃は松屋さんの5階で遊んでいました

──松崎煎餅さんが銀座に出店されて150年弱。この界隈でも老舗中の老舗とお伺いしました。

銀座百店会の中でも、最も古い3店のひとつになるでしょうか。
私は当社の本店がある並木通りで生まれ育ったのですが、子供の頃(昭和30年代前半)のこの辺りは今と全然違っていましてね。記憶にあるのはインクの匂い。有楽町には朝日新聞、今のプランタンさんの場所には読売新聞の本社がありまして、マスコミ関係のサラリーマンが闊歩していたんです。

商店街ではなく、大きなビルが点在する中に小さなお店がぽつんぽつんとある感じでした。
母からは、そもそも並木通りは千葉から運んできた野菜などを、京橋にある大根河岸へ運ぶための生活道路だったと聞いています。


銀座4丁目、並木通り沿いにある本店。

──社長が子供の頃、松崎煎餅はどんなお店でしたか?

うちは明治5年の大火、関東大震災、そして太平洋戦争と、この場所で都合3度も消失しているんですよ。その都度バラックからやり直しまして、私が子供の頃は1階が店舗、2階が住居の木造家屋に住んでいました。
当時は煎餅を木箱や金属の箱に入れて保管していましてね。それを大きなガラス容器に入れ、お客様にバラ売りしていたんです。よくつまみ食いして叱られましたが、今思うとあれが煎餅の味を覚える勉強になっていたのでしょう。

戦争があったのは祖父の時代で、時節柄、煎餅を作る鉄製の鋳型をたくさん供出しました。ただ大切な型だけは手放さず、こっそり隠しておいた。うちには百丁以上の型が残っています。煎餅屋にとって、型ほど重要な道具はありません。今も一部の商品は、大正時代からある型を使って作っていますよ。


先々代が戦火をくぐり抜けて守り抜いた鋳型。

──松屋銀座とのお付き合いが始まったのはいつ頃でしょう?

もう50年近く前になるでしょうか。実は松屋さん、子供の頃の私の遊び場だったんですよ。
この辺りには遊び場がなく、当時は天賞堂さんで模型を眺めるか、4丁目のキンタロウさんか松屋さんの5階にあるオモチャ売り場に行くしかなかった。自然に足が向いたというのもありますね。
当時の子供にとって、人通りの多い晴海通りは、言ってみれば川のような存在でした。川を越えてわざわざ5丁目方向には行きたくありませんから、どうしても3丁目方向に足が向く。オモチャに誘われてではありますが、私自身も松屋さんと縁があったのかもしれませんね。
そうそう、亡くなった父は着物が好きで、よく松屋さんで買っていたんですよ。今も家には着物はもちろん、昔の松屋さんの畳紙(たとうし)がたくさん残っています。お互いにお付き合いがあったということですね。

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